2018年5月12日土曜日

山椒をたっぷり使ったパスタのレシピ 木の芽のジュノベーゼ


山椒の木






香りは記憶と結びつくと言われていますが、私は山椒の香りを嗅ぐと、アゲハ蝶を思い出します。
実家の庭にあった小さな山椒の木に、毎年アゲハ蝶が卵を産みに来ていた記憶と、山椒の香りがつながっているようです。


小さな黄色いたまごがかえって、鳥の糞みたいな幼虫から緑色の幼虫になり、サナギになって蝶になる過程を毎年毎年眺めていたことを覚えています。

自然界のトランスフォームに興奮しつつ、いい匂いのする葉っぱだなあと思っていました。




大人になってからも山椒は割と好きな香りの山菜なのですが、食卓に上がるときといえば、だいたいいつも薬味や香りづけ程度で、調理法に限りがありました。


ある時、miaが思いついた木の芽のジュノベーゼのレシピ。
いつもは薬味止まりの木の芽ですが、ジュノベーゼにすることでメインのお料理としてその香りをしっかりと味わうことができます。
フレッシュな木の芽は苦味・えぐみもなく、本当に美味しいソースになります。
たっぷりと山椒が手に入った時には、ぜひ一度このレシピを試してみてください。




これは山椒の木ではありません











木の芽のジュノベーゼパスタ



材料

  • 山椒の若葉
  • にんにく
  • ナッツ(ピーナッツやクルミやカシューナッツなどお好みで)
  • オリーブオイル
  • じゃがいも
  • トマト
  • パスタ






1.山椒の若葉、にんにく、ナッツ、オリーブオイルをブレンダーにかけてペースト状のソースを作ります。 








2.じゃがいもを角切りにして茹でて、タコは薄切りにしてオリーブオイルで軽くソテーします。
トマトは角切りにしておき、火は通しません。









3.パスタを茹でて、ボールかお鍋で、1と2を和えます。茹で汁を少し加えるといい感じです。




4.できあがり!















ジュノベーゼソースを作るには、かなりの量の木の芽が必要になります。
家の庭に生えているサイズの山椒の木では足りないので、近くの山まで探しに行ってみてはどうでしょう。
自然林や里山では、ほぼほぼ見つけることができます。


見つけやすいコツとしては、山に行く前に近くのホームセンターや道の駅で売られている山椒の苗木をよく見てから行くと、山でも見つけやすくなりますよ。
目を慣らしておくと見つけやすいです。




山椒は、近い距離にまとまって生えていることが多い木です。
1本見つけると、その周りに親の木(もしくは子供の木)を見つけることができます。


木があまり大きくなりすぎていると、肝心の木の芽の香りが薄く少しアクも出てくるので、できれば背の低い木から木の芽を集めることがおすすめです。


木の芽はたくさん必要ですが、1本の木をつんつるてんにしてしまうのは良くないので、何本かの木から少しずつ集めましょう。


葉の真ん中が黄緑色になっていて、小さな白い点(油点)がポツポツと見える葉が一番香りが立つように思います。


香りのオイルが詰まっているのは、油点と呼ばれている半透明の白い点。
木の芽を、パン!と手のひらで叩くと香りが立つのは、油点がはぜて香りが立っているからなんですね。






山椒の香りは独特で、爽やかでスッとするアッパー系ですが、あの香り成分はシトロネラールという柑橘系の成分だそうです。


山椒はミカン科サンショウ属で、ミカンの仲間。
アゲハ蝶が卵を産むのもミカン科の木。
そういえばキンカンの木にもアゲハ蝶は卵を産んでいました。
ミカンと山椒、ずいぶん違う植物に見えますが、アゲハ蝶からすると同じ種類の植物なんでしょう。

柑橘系繋がりで、ゆずの皮を加えても美味しいかもしれませんねえ…。







木の芽のジュノベーゼパスタ、お店で食べるのは難しそうなメニューですが、正直病みつきになるくらい美味しいです。
機会があれば是非一度試して見てください。



2018年4月9日月曜日

メキシコペソを日本に海外送金して円に換えるには、ビットコインが使える



色々あって、日本に本帰国することになり、メキシコペソを全て引き上げて日本へ帰ることになりました。
メキシコで定期預金にしてキープすることも一瞬考えましたが、遠隔では対応できないことを懸念して断念。


もちろん、メキシコペソのままではなく、なんとかして日本円に戻す必要があります。
普通に銀行の海外送金を利用するとものすごい手数料を取られてしまうので、私たちなりに検討し、2つの方法で資金を移動しました。


※海外送金は手数料を抑えるサービスが日々新しく出てきています。
この記事は現時点(2018年3月)で私たちが選んだ方法で、メキシコペソを円に変えたい人向けの情報です。



海外送金のサービスでは比較的評判のいいTransferWise、私たちが日本円をメキシコに送金する際に利用したCurrency Online、この2社は現在メキシコペソの送金には対応しておらず、残念ながらメキシコペソは取扱対象外の通貨となっています。


理由はメキシコペソの国際的な信用度や、ブラックマーケットの資金洗浄(lavado dinero en mercado negro)を警戒してのことだと推測されます。
まあ、仕方ないですね…。




今回私たちが実行したのは次の2つの方法です。


①メキシコペソを米ドルに両替して、米ドル現金を日本で両替する
②メキシコペソでビットコインを購入し、日本のビットコイン口座に送金、売却し出金


結果的には、どちらもまずまずの成果でした。
①②の方法共に、タイミングを待ったので、実際のレートよりも良いレートで円に戻すことができています。




偽札チェック用のペン






メキシコペソを米ドルに両替して、米ドル現金を日本で両替する





ご存知の通り、メキシコペソと日本円の現金両替レートは非常に悪く、一度ドルに変えてから両替する方がレートが良いです。
2回両替することになるのですが、それでもドルを経由する方がレートが良くなります。


まず、メキシコペソの両替は街の両替屋を利用しました。(casa de cambio)
他の街も同じ状況なのかは不明ですが、カンクンの場合、ほとんどの人(旅行者)がドルからペソへの両替をしているため、おそらく米ドルのキャッシュがだぶついています。


そのため、メキシコペソから米ドルへの両替はかなりレートが良く、リアルタイムでgoogleで確認するレートより良いレートで米ドルを売ってくれます。


主要な大手銀行や、いくつかの両替屋を回って見て、レートが良く、かつセキュリティに不安がなさそうな両替屋を選びました。



利用した両替屋のカード。カンクンのセントロ、ホテルゾーン、イスラムへーレスの3箇所にオフィスあり




この両替屋はある程度大きな金額の場合、店頭に表示しているレートよりも良いレートでドルを売ってくれます。大口割引ありです。
大口といっても3000〜5000ドル程度でも割引してくれます。
全て100ドル札で受け取りたかったこともあり、事前に電話連絡して、レートの交渉、受け取る支店を伝えてもらってから両替。
レートのいいタイミングを見計らい、何回かに分けて両替しました。


この店はある程度の金額の場合、受付の横にある鍵のかかる別室で対応してくれるので安心でした。
念のため偽札チェックのペンを近所の文房具屋で購入し、両替するたびにドル紙幣を一枚ずつ確認。
結果、1枚も偽札は見つかりませんでした。








現金の持ち出しについて



さて、手元に来た米ドルですが、メキシコから海外に持ち出せる現金は一人につき10000ドルまでという上限があり、それ以上の金額を持ち出す場合は税関(aduana)に申告する必要があります。


調べてみると、2010年頃メキシコシティの空港で、日本人が悪徳職員に難癖をつけられて現金を没収されるケースがいくつかあったようです。


今回持ち帰りたかった米ドル現金は約14000ドル。
10000ドルという上限が一人当たりなのか、世帯あたりなのか微妙なところ。
いちゃもんをつけてこられた時に自信を持って返答できるようにハッキリさせておきたかったので、カンクンの税関、日本大使館、利用する航空会社であるアエロメヒコ から念入りに言質をとりました。



カンクンの税関には、空港にある黄色い公衆電話から直接質問しましたが、状況や金額を具体的に伝えたのにも関わらず、「状況による。(depende…)」といううやむやな返答。
話が通じませんでしたが、このぐらいは想定内。慣れたもんです。


日本大使館にも質問しました。
「私たちも確認を取りたくて、何度もメキシコシティの税関に確認していますが、はっきりとした回答が得られていません。ですので、私も10000ドル以下しか持ち出さないようにしています。」との回答をいただきました。
個人的な意見が出てくるところがメキシコらしいですね。


アエロメヒコはまずカンクンのオフィスに赴きました。本部に電話で問い合わせて、
「大丈夫大丈夫。問題ないよ〜♩」とユカテコらしい対応。
いい人でしたが、返答の軽さが気になります。


結果、念には念を入れて問い合わせた、アエロメヒコのメキシコシティのコールセンターの人が、一番安心できる雰囲気で対応してくれて、
「世帯当たりではなく一人当たり10000ドルで問題ない」とハッキリ答えてくれました。

彼はその他の質問(捨てることになる戻りのチケットの処理など)についても的確で、折り返しの連絡も早く、多部署への話の通し方など、仕事ぶりが信用できる人だったのでようやく安心できました。


そして、10000ドルを越える場合の税率に関しては結局誰も教えてくれませんでした。(知らないのかも?)




それだけ準備をして臨んだメキシコシティの税関ですが、あっさりとスルー。
何も問題はなく、深夜のメキシコシティの空港でぼんやりしている時に
「あれ?そういえば税関すぎたね?」と後から気がつくぐらい、あっさりしていました。
職員の質は改善されているようですね。










日本での外貨預け入れ



さて、日本に帰ってきました。
日本に持ち帰った米ドル現金を日本円に両替します。


流れとしては、みずほ銀行の外貨預金に米ドルを預け入れ、そこからマネーパートナーズのFX口座に送金し、マネーパートナーズ内で両替(円転)します。
順番に見ていきましょう。



まずはみずほ銀行に外貨預金口座を作ります。

米ドルの預け入れには三井住友銀行も対応しているのですが、1通貨あたり1円の手数料がかかります。
1ドル預けると1円持って行かれます。
預けるだけですよ?
10000ドル預ければその時点で10000円持って行かれます。


みずほ銀行は預け入れ手数料は金額にかかわらず500円。
いいですね!

…でも、銀行にお金を預けるだけなんですけどね。
なぜそこに手数料がかかるのかは納得できません。


ちなみに外貨預け入れ対応は全ての支店では対応していないので、事前にどこの支店で対応しているか、調べておきましょう。




カンクンからみずほ銀行のコールセンターにはすでに電話していて、必要書類、預け入れから送金についての流れは一通り確認済みでした。


しかし、銀行に行く当日、一応店舗に必要書類を再確認すると、そのお金がどういうお金なのかエビデンス(証明)が必要だと言われました。
メキシコでの給与証明か何かが必要だと。


「以前、確認しましたがそのような案内はされていない」
ということを伝え、前職の退職証明なら持っていると伝えると、それで大丈夫だと案内されました。
この時点で少しめんどくさかったですが、まあまあ、日本の大手だしこういう感じだよねーと、御堂筋線に乗って銀行へ向かいました。




電話での問い合わせでは、
「外貨預金にかかる手数料を支払うために、みずほ銀行の円口座から支払う必要があるので、みずほの口座を持っていない場合、まずは円口座を新規開設してください」
と案内されていました。(めんどくさい)


しかし、いざ窓口に行くと手数料は現金払いでも大丈夫ということで、すぐに外貨口座を開設できました。


続いて、送金担当者?にバトンタッチして、送金手続き依頼。
これに時間がかかりました。


送金手続きは窓口でしか受け付けていないそうなので、この日のうちにマネーパートナーズの口座に送金までしたかったのですが…




「送金理由って、自分のfx口座に送金でいいですか?」
『ええっと…、上司に確認しますね』

「この宛先欄の記入ですが、mizuho bank ですか?それともmizuho ginkoですか?」
『…上司に確認します』

「受け取り先銀行(みずほ銀行六本木支店)の住所ですが、ビル名も記入必要ですか?」
『…確認します』



と、一言一句上司に確認するのでなかなか進みません。
この辺りですでに3時間ぐらいかかっています。



bankでもginkoでもどっちでもええやん…と、普段温厚な私達も流石にぷるぷるしてきました。
友達との約束があったので時間がないことを伝えると、後日ご自宅までお伺いしますということに。
翌日、担当者の上司が最寄り駅まで来てくれて、喫茶店で手続きが完了しました。



わざわざ足を運んでくれた課長さんに聞くところによると、
最近は新規の口座開設(特に外貨)は犯罪に巻き込まれて悪用されないか、特にナーバスになっているとのことでした。


もし、私が悪巧みをして、やましいお金を動かす時には、絶対にみずほ銀行は使わないようにしようという気持ちにはなりました。


これで送金依頼は完了。




一方、送金先であるマネーパートナーズとのやりとりは常に大変スムーズでした。
コールセンターの担当者は非常に理解力が高く、どの質問にも適切に即答してくれます。
知識も豊富で、どの担当者も上司に確認することは一度もありませんでした。


金融リテラシーの差があまりにも歴然としていて、未来が占える両社の対応でした。


みずほ銀行の外貨口座から送金する、送金手数料は5000円。
よって、みずほに米ドルを入金して送金するまでの手数料の合計は、5500円です。



さて、ようやくマネーパートナーズに米ドルがデータとなって着金しました。
あとは為替のタイミングを見て両替です。
両替手数料ですが、10000通貨まとめて両替すると0.1円
10000通貨未満の端数は0.2円です。


14000通貨(14000ドル)を両替したい場合、10000×0.1=1000円
4000×0.2=800円 合計1800円です。


FXに馴染みがないと少し分かりにくいかもしれませんが、10000通貨(1万ドル)がひとつの単位となっていることが多いです。
1万円札の両替は手数料が安く、それ以外の千円札や5千円札、硬貨などの両替は手数料が少し高いというイメージですかね。


まとめるとこんな感じの流れです。


・メキシコペソを米ドルに両替
・日本に持ち帰った米ドルをみずほ銀行の外貨預金に預け入れ
・みずほ銀行からマネーパートナーズのFX口座に送金
・マネーパートナーズのFX口座内で、タイミングを見てドルから円に両替
・マネーパートナーズから銀行に出金


※マネーパートナーズから銀行へ出勤する場合手数料はかかりません。

※2018年2月のドル・メキシコペソのレートは1ドル=18.5-18.8ペソでした。
その期間、カンクンの両替屋では1ドル=17.9-18.1で両替できました。















②メキシコペソでビットコインを購入し、日本に送金



続いて、ビットコインを利用した海外送金について。


流れとしては、bitsoでビットコインを買います。
そのビットコインを日本のbitFlyerに送金。
着金したら円に両替して、銀行に出金。
以上。
非常にシンプル。


この作業をしていたのは2018年2月。
ビットコインの相場自体は緩やかな下落トレンド。
下落はしているものの、日々の値動きはまずまず緩やかでした。


bitsoでビットコインを購入する場合、現在の売値より少し下に指値を入れておいて購入。
購入したらすぐに日本のbitFlyerに送金していきます。
着金までは大体30分以内。


bitFlyerに着金したら現在の買値より少し高めに指値を入れて置いて、売却。
最後にまとめて出金。




手数料ですが、bitsoでビットコインを購入する際には、購入価格の1%がかかります。
ビットコインの送金手数料はこの時期、1回につき約1ペソ前後でした。(約6円)
bitFlyerから銀行に円で出金する際の出金手数料が1回につき754円でした。


ビットコイン自体の値動きに不安があったので、米ドルの両替と同様に、何回かに分けてこの作業を行いました。
7〜8回かな。


当時のレートが1ペソ=5.7円程度でしたが、
諸々の手数料を抜かれても、1ペソ=5.85円で送金することができました。
例えば100000ペソだと57万円相当ですが、それを58万5千円で送金、両替までできたと言うことになります。




まとめるとこんな感じの流れです。


bitsoでビットコイン購入
bitsoからbitFlyer に送金、売却
bitFlyerから銀行に出金






結論としては、圧倒的にビットコインで送金した方が楽でしたね。
コストも低く抑えられ、レートも良かった。




2017年の年末に仮想通貨が高騰した時期、送金手数料がかなり値上がりしました。
(ビットコインは現在のシステムでは取引量が多くなると送金手数料が高くなってしまいます。)
しかし、徐々に新しい技術が導入されて、送金手数料も安く安定するようになってきています。


仮想通貨での海外送金は、まだ一般的ではないと思います。
まだまだ開発が続いている新しい領域で、各国の法整備も現在進行形で変化している状況です。
コールセンターのように質問に答えてくれる人もいないので、自分で調べてリスクを判断する必要があります。


ただ、今回2通りの方法で実際に資金移動をしてみた感想としては、非常に便利なシステムでした。


銀行に法外な手数料を払うことも、現金を偽札チェックしてなんども数えることも、税関の不安も、わざわざ電車に乗って行って口座を開設して待たされることもありません。


最後は、従来式の大手銀行と現在進行中の仮想通貨のどちらに信頼を持てるか、という事になってくると思います。
私にとっては自分の経験こそが信頼なので、今回は良い体験となりました。




なお、いきなり大きな額をビットコインで送金するのはおすすめしません。
しばらく自分でビットコインを持ってみて、値動きを体感して、少額の資金移動を試してみれば、感じることがあると思いますよ!




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2018年2月22日木曜日

最後の眠りをデザインする Last Sleep Design



メキシコと関わっていると、いろんな場面で「死」に出くわす。
でも、そのどれもが日本で感じる感覚とは何かが違った。

なんというか、距離感が近いように感じるのだ。
日本ではとても遠いところに感じていたものが、すぐ近くにあるような、そんな感覚。









ここでは(私からすれば)人がとてもあっさりと死んでいく。
無謀な運転の事故や、偏った食生活による病気、ナルコ同士のいさかいなど、理由はそれぞれだ。





メキシコで一度だけ、お葬式に参列する機会があった。
友人の妹が若くして亡くなってしまったのだ。
脳の病気だったようで、若かった事もあり、病気の進行がとても早く、本当にあっという間に亡くなってしまった。
とても感じが良く、素朴で可愛い女の子だったので、とても悲しかった。


お葬式は自宅で行われ、神父さんみたいな人と、泣き唄い女みたいな人が3人外から来て、後は家族と親族だけという小さなお別れ会だった。
小さな家の中には、大人と同じくらいの数の赤ちゃんや子供、妊娠してる女性が何人かいた。


子供たちは、皆が賛美歌を歌ったり神父さんのお話を聞いている間も、狭い家の中をちょろちょろ動き回っては、笑ったり泣いたりしていた。
彼女が亡くなってしまった寂しさに浸る隙間もないぐらい、泣き唄い女は大声で歌い、子供たちは動き回り、赤ちゃんは可愛さを炸裂させていた。




メキシコでは一人暮らしをしている人は本当に少なく、家族や親族、友人や恋人など、ほとんどの人たちが誰かと一緒に住んでいる。
スクワッターも共同で済んでいる。
そのコミュニティの中で誰かが死んでしまっても、その数以上に新しい命がどんどん生まれてくる。


人口が増えている国というのは、悲しむ回数より、喜ぶ回数が多い社会なんだと思う。













私が初めて深い友達になった外国人は、日本を旅で訪れていたメキシコ人だった。


彼は路上で自作のアクセサリーを売るアルテサニアで、メキシコ人にしては珍しく世界中を放浪していた。
ヨーロッパのパーティーを巡り、インド、タイ、インドネシアと右回りで世界を周り、日本までやってきた。


MIAの妹の友達から、ちょっとだけアテンドするような感じで紹介されまずは日本の居酒屋へという事で新世界の串カツ屋に飲みに行った
不思議そうな顔で串カツを食べ、きちんと割り勘分の自分の勘定を支払い、初めての日本の街(新世界)に目を輝かせていた。


泊まるところも決めていないという事だったので、とりあえず京都の我が家に連れて帰ると、なんと手持ちのお金が50ドルだと言ってきた。
不安そうな素振りも見せず、「明日から頑張らないとね!」あっさりしたもんだった。


彼がうちにきたのは8月、夏真っ盛りだったので毎日とても暑い日が続いていた。
翌日は、久しぶりにクーラーがガンガンに効いてインターネットもサクサクの我が家が随分と快適だったようで、一歩も外に出なかった。
「明日からがんばるよー」
と、昨日と全く同じことを言いながら、冷ややっこをつまみに金麦を飲んでいた。


その後もなんだかんだ一週間ぐらいは仕事に出ず、うちらにくっついて遊んでいた。
おしりをたたかれ、ようやく外で仕事を始めだしたが、そこは道売りで世界を回ってきただけあって、最初から結構いい調子でアクセサリーを売っていた。



淡路島までパーティーに出店しに行ったり、船岡温泉に行ったり、近所のイオンに行ったり、友達の展示会に遊びに行ったり。
変なメキシコ人が居候してるってことを面白がって友達がうちに遊びにきたりもした。
結局、1か月近くは居候していたんじゃないだろうか。











うちを出た後には、橋の下で寝たり、人んちのベランダで寝たり、日本をサバイバルをしていたみたい。
京都を離れる前には、律儀にビールを買い込んでうちに遊びに来た。
しっかり稼げたんだなあと驚いたのを覚えている。


ヒッピーのお祭りや、サイケデリックなパーティーにも参加して出店していたみたいで、気が付けば日本中に友達をたくさん作っていた。
観光ビザで滞在できる3か月のうちに東京までたどり着き、そこでもしっかり稼いで一年オープンの往復チケットで成田からメキシコへ帰っていった。


それから一年後、またうちに泊まりに来たので、苦笑しながらも再会を喜んだ。









その後もFacebookでたまーにコンタクトをとったりしなが2年ぐらい時が流れた。
うちらがメキシコにいくことを考えだして、一度彼にメッセージを送ってみた。

すると、返事は返ってこなかった。

電波を拾えない旅の途中なのか、Facebookを閉じたのか、どっちもあり得るなーと思い、気長に返事を待っていた。

でも、返事はいつまでたっても返ってこなかった。




しばらくして、共通の友達が彼がマレーシアで亡くなったことを教えてくれた。
バックパッカーが泊まるような、よくあるホテルの部屋から落ちてしまったらしい。
ふざけていて落ちたのか、事故だったのか、自ら選んで落ちたのか、原因は分からない。

とってもびっくりしたし、何でそうなったのかを知りたかった。


メキシコに移住して、スペイン語が少しずつ理解できるようになるにつれて、ふとした瞬間に何度も彼のことを思い出した。
今ならもう少し、込み入ったことも話せるのになと。(以前は英語でコミュニケーションしていた)
ここは彼の生まれて育った国で、一緒に旅ができたらまた違った視点を共有できて面白かっただろうなと思った。


亡くなったことを聞いた時、とても驚いたけれど、不思議と悲しくはなかった。
なぜ?どうして?と疑問は強かったけれど、
根無し草でアルティスタ気質の彼らしい死に様で、なんだか物語のように感じた。
彼らしい、いい死に方だなあーとも思った。
















メキシコで感じる、死に対する感覚。
日本では、丁重に隠されている死という存在が、ここでは生活の中にあり、その姿がいつも目の端に見えている。
あっという間にやってきて、あっという間に去っていく。

これは、とても興味深いギャップだった。








そんな社会で暮らしていると、自然と認識が少しずつ変わっていく。
はじめは辛くて食べられなかったチリ(唐辛子)が、いつの間にか無くてはならない付け合わせになっていくように、
自分では気が付かないまま、思考は緩やかに変化していく。


死に対する感覚が日本と違う事について夫婦で話をするうちに、
自分たちも必ず迎えるその瞬間を、具体的に想像するようになった。
どんなふうに死を迎えたいのか、どんなふうに迎えたくないのか。


そして、結婚式や旅行やパーティーを計画して実行するように、その瞬間も自分たちの手で決めておきたいと思うようになった。

もちろん、突発的な事故にあうかもしれないし、病気になるかもしれない。
幸せなことに大きなイレギュラーに遭遇することなく寿命近くまで生きれたら、どんな風に終わりを迎えたいのか。



「まだまだ長生きはしたいけど、病気になって、昔なら死んでいるような状態になってまで生きるのは嫌だねえ。」

「そうやなあ。やっぱ、ぽっくり行くのが一番いいんよな。」

「わかるわかる。ぽっくり一緒に死ぬのがいいね。」

「そうやなあ。それやったら、こっちでタイミング決めて、一緒にぽっくりが一番いいねんけどなあ。残された方は悲しいし。


という結論は割とすぐに出た。


それが何歳のことなのかはまだあやふやだけど、自分たちの意識が残っているうちに、
ふわふわの毛布にくるまれて、お気に入りの日本酒やシャンパンを楽しみ、ボンやりしながら愛する人と一緒に死ぬ。

ついでに景色の綺麗な場所で、最後にあれとあれを食べて…と、妄想は止まらなくなった。
最後まで強欲な感じもするが、こうなってくると最後の晩餐の想像はけっこう楽しい。


「せっかくだから…」
じいさんばあさんになっても、そうやって言い続けているんじゃないかという気がした。


残念ながら、今のところ自分で死を決めることはまだまだハードルが高い。
スイスにはディグニタス(DIGNITASという自殺幇助を行っている団体があるし、ベルギーやオランダ、アメリカの一部の州では安楽死は認められている。

だが、自裁死はまだどこの国でも認められていない。
しかし、今から40年先の未来には、その選択肢も世に出ていればいいのになあと思う。













そんな話をたまにしながら過ごしていたら、母親がメキシコに私たちを訪ねて遊びに来てくれた時に、お土産として本を何冊か持ってきてくれた。


その中でも特に面白かったのが、鳥取県でホスピス(終末期ケア)を開かれているお医者さん、徳永進さんと詩人の谷川俊太郎さんの往復書簡をまとめたもの。


詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡 徳永進 と谷川俊太郎





どの話もじわじわくるのですが、秀逸だったエピソードが一つ。

なぜか、死んでしまった後にまぶたが閉じなくなってしまった患者さんがいたそうなのですが、いくら閉じようとしてもなぜかまぶたが閉じない。

それなら最後に生まれ故郷を見せてあげようと、目が開いたままの状態の患者さんを助手席に乗せて、彼の故郷まで看護婦さんとお父さんとドライブに行く…というくだりが本当に面白かった。



日本人っていろんな意味で狂ってる人が多いと思うのだけど、彼女のようなズレ方はとても愛しいと感じる。
協調性が重んじられ、ルールから逸脱したことをすることが難しい社会の中で、個人のフィーリングでそういうこと(亡くなった人を連れてドライブ)をやっちゃう人のことはとても好きになってしまう。


それは一般的な社会の空気や、法律から逸脱しても、自分の信念で行動しているから。
ルールは破るがマナーは守ると誰かが言っていたけれど、それでいいと思う。


 読んでいると笑いながら泣いてしまう。
胸の奥から不思議な感情が沸いてくる。
一つ一つの言葉が深く沁みる。






ホスピスの人たちは、死をハレ(非日常)ではなくケ(日常)として接する。
だから、日常をとても大切にしているように感じる。
最後の眠りに向けて、どう寄り添うのか、それぞれの瞬間の判断が素敵だなあと感じる。



徳永先生とホスピスで働く人たちの死との向き合い方は、メキシコ人のそれとはまったく違う。



全く違うけど、メキシコ人にとっても死はケ(日常)なんだろう。
だから、きっとその存在を近くに感じたんだと思う。












そんな風に死ぬ事についてふわふわ考えていると、
前よりもメキシコと日本のことが好きになった。
そして、自分たちの人生も、前より愛おしくなった。


どんな形になるにせよ、最後の眠りも愛せるようになれれば、それはそれはいい事だなと思う。